春野さ子からの卒業












遅くなってしまいましたが、
あけましておめでとうございます!
2022年は寅年🐯
私は年女です
心も身体も健康で過ごせる
1年になりますように🙏🏻

2021年12月31日
  〈AQBI DIG-PARTY〉にて
結婚と卒業を発表させていただきました。
そして
〈AQBI DIG-COUNTDOWN〉が
アイドルとして最後のステージになりました。
何から書いていこうか悩みますが
最初から
振り返っていきたいと思います
長くなりますが
お時間がある時に
お読みください

私が通っていた高校は
とても忙しい学校でした
大量の課題や予習に
小テストも毎日あり、
テスト前や長期休みには
どう考えても終わらない量の
課題が出されました
行事や進路指導にも力を入れている学校で
校風としては体育会系だったと思います
毎日毎日忙しく(主に課題が)
睡眠時間も4~5時間、
6時間寝れればいい方でした
学校のこと以外にも
色々なことに追われ、悩む日々で
少しずつ
身体と心のバランスが崩れていきました
何もしていないのに
体重がどんどん減って
食べれない
寝れない
そんな日が続いて
高2の2学期のある日
朝、起き上がれなくなりました
今思えば
なんかおかしいなと感じた時に
休めばよかったのですが
その考えに至らないほど忙しかったのと、
周りのみんなも同じように大変なのに
自分だけ休むのは良くないのかな
という謎の考えで
動けなくなるまで
頑張ってしまったのだと思います
動けなくなって
通い始めたのが
後に私にAqbiの公開オーディションを
すすめてくださった先生の病院です
アイドル、マンガ、アニメ、映画など
趣味がとても幅広く
個性的ですが
診察の時はいつも的確な言葉をくださる
優しい先生です
先生はベルハーさんの現場に何度か行ったことがあるらしく、壁にチェキも貼ってありました
2016年の年末に
ベルハーさんが崩壊してしまい
年が明けて
2017年の最初の診察の時に
公開オーディションが
開催されるらしいよと
教えてもらったのです
公開オーディションの話を聞いたのは
オーディションの2.3日前だったと思います
その当時私は
忙しかった高校を転校し
通信制の高校に通っていました
同学年の人はみんな
大学受験のシーズンでしたが
私は精神的にも体力的にも
それどころではなく
毎日みんなから取り残されていく感覚に
しんどさを覚えていました
それもオーディションを受けようと思った
きっかけだったと思います
何かにチャレンジすることで
みんなに置いていかれる感覚を
焦る気持ちを
紛らわしたかったのだと思います

公開オーディションでは
Supercellさんの
〈君の知らない物語〉
を歌い
星野源さんの
〈恋〉
のダンスを踊りました
君の知らない物語を選んだ理由は、
アイドルのオタクの人ってきっと
アニメとかも興味ある人多いよね
という私の勝手なイメージがあったからです
また、純粋に曲調や歌詞が
とても好きだったというのもあります
恋ダンスは
その当時、ドラマの影響で流行っていて
曲を耳にする機会が多く
覚えやすくて楽しく踊れたという
理由で選びました
オーディションはLoft9sibuyaさんで
行われたのですが
私は母に
学校の帰りに友達と遊んで来るねと
言っていたので
早く帰らないと怒られると思い
自分の番が終わってすぐに帰りました
アイドルになりたい
オーディションに受かりたい
という気持ちは
ほとんどなく、
お客さんの前でオーディションをして
田中さんとお話できて
楽しかったな、いい経験になってよかった
と思いました
後日
もう一度事務所で面接があり
その後
田中さんから
いっしょにライヴをやりませんか?
というメールをいただきました
とてもびっくりしました
歌もダンスもなんにも出来ないのに
なんで選んでいただいたんだろうと
不思議でした
でも
公開オーディションが
とても楽しかったので
ライブをやってみたいという
気持ちが大きくなり
アイドルになることを決めました
その後は
打ち合わせを何度かして
ソロでのんびり活動することが決まりました
とてもありがたいことに
オリジナルの曲をいただき
レコーディングをしました
初めての体験ばかりで
とてもわくわくしたのを
よく覚えています

2017年4月9日
目黒鹿鳴館で
ライブデビューをしました
私はそれまで
他のアイドルさんやアーティストさんの
ライブに行ったことがなく
自分の初ライブが
人生初めてのライブでした
ステージに1人で立つというのは
とても緊張しました
でも
お客さんの優しい応援のおかげで
自然と笑顔になりました
それからは
ライブの時、
もちろん緊張はしましたが
ステージから
にこにこ笑顔の
お客さんの顔を見て
リラックスして
楽しくライブが出来たと思います
春野さ子は
全部で4曲の
オリジナル曲をいただきました

〈愛くるしくて迷走中〉
〈パステルロード〉
〈Air con pop〉
〈ヤキモキSUMMER〉

全てとても思い出深い曲です
活動が少ないにもかかわらず
オリジナル曲をいただけたということは
本当に恵まれていて
幸せなことだと思っています
ライブ以外にも
特典会でお話ししたこと
いつもTwitterのリプをいただいていたこと
ツイキャスやオフ会
トークイベント
ラジオに呼んでいただいたこと
生誕イベント
その他にも
たくさんの大切な思い出が
心の中に
しまってあります

私の中で
春野さ子というのは
自分の中のもう1人の自分
という感覚があります

それは決して二重人格的なことではなく
仕事をしている時と
家でリラックスしている時の自分は
同じ自分だけど
少し違うように感じるのと
同じ感覚だと思います
それまで私は自分のことを
静かで目立たない、大人しい性格
人見知りで緊張しいで
人の前に立つなんて
考えられないと思っていました
でも
春野さ子として活動する中で
自分の中にはこんなに自分もいたんだ
と発見しました
これはとっても嬉しい発見で
自分の自信になりました
心と身体の調子をを崩してから
とにかく何もかもしんどくて
なんで自分は
みんなと同じように出来ないんだろうとか、
自分ダメダメだなとか、
何度も何度も辛い時がありました
(今でもたまにありますが)
時には
生きることを諦めたくなったこともありました

そんな時、いつも
春野さ子のことを思い出しました
お客さんの前で
歌って踊ってお話しもして
自分の中には
こんなにすごいことを出来る自分もいるんだぞ
と、自分に言い聞かせていました

春野さ子から自信をもらっていたのです

時間の流れとともに
少しずつ自分の心が成長し
環境も変わっていきました
多い時には8種類くらいのんでいた薬を
断薬できたり

パートを始めて
継続して働けるようになったり
(パートは手術で使った器具の洗浄や、手術室の清掃などをする仕事です)

週1回の通院が月に1回になったり

結婚という大きな決断をしたり

それまでは
春野さ子から自信をもらっていたのが
自分の経験したことや頑張ったことから
少しずつ自信を得られるようになりました
そして
自分の心の中で
親離れならぬ
春野さ子離れが
自然と出来ていきました
これが私が卒業を決めた理由です

春野さ子は
応援して下さり、見守ってくださる
みなさんがいなければ
成り立ちませんでした
活動は少なくても
みなさんが見守ってくださっている
という安心感は
いつでも感じていました

春野さ子に
たくさんの愛情をくださって
本当にありがとうございました

そして春野さ子を通して
私自身の支えとなってくださり
本当に本当にありがとうございました

ブログを書きながら泣いてしまい
涙で顔がぐちゃぐちゃになってしまいました笑
まだ続きます〜!

私事で恐縮ですが
ご縁があり
2020年4月に結婚をしました
まだ若く
今までの人生のほとんどを
大人に守られて生きてきて
社会経験も人生経験も少ない自分が
結婚するなんて
大丈夫なんだろうかと
不安に思い、悩みましたが
この人と結婚したいと思える人に出会えたこと
また
相手にも同じように思ってもらえたことは
とても幸せなことだなと思います
現在は夫と猫とのんびり暮らしています















↑飼っている猫の
ふくろちゃんです
♀です
元野良なので
正確な年齢はわからないのですが
7歳か8歳くらいです
とても臆病な性格ですが
慣れている人には
よく甘えてよくしゃべる
可愛い猫です

最後のライブについても
書きます!
結婚を発表するのはとても心配でした
変な空気になったらどうしようと
ドキドキしていましたが
発表した瞬間
会場のみなさんが
大きな拍手をしてくださって
とても喜んでくださったのが伝わり
すごく嬉しかったです
特典会でも
たくさんの
おめでとうやありがとうの言葉を
いただきまして
本当に嬉しくて
ずっと感激していました
1部と2部の間は
とても短かったにも関わらず
COUNTDOWN公演の最後には
手作りの横断幕を準備してくださり
見た瞬間にうるうるしてしまいました
それまで頑張って泣かないようにしていたのに
こらえられませんでした

とっても愛が伝わりました!

関わってくださり
支えてくださった
たくさんの方々に
特大の感謝を伝えたいです

本当にありがとうございました!

会う機会は少なかったけれど
会うといつでも優しく接してくれた
Aqbirecのメンバーのみなさん、
ライブの空き時間などにお話できて
とても楽しかったです
ワンマンライブなどがある時には
みなさんの活躍を観にいきたいです
ライブやイベントで
わからないことがあったとき
いつも丁寧に対応していただいた
Aqbirecのスタッフさん、
ライブ終わりに駅まで送っていただいたり
みなさんのおかげで安心して
活動することが出来ました
私が変わるきっかけを作ってくださった
田中さん、
アイドルとして活動する中で
知らなかった自分を知り
たくさん成長することが出来ました
こんなに素敵な経験を出来たことは
私の人生において
とても大切な宝物です
心配しながらもアイドルの活動をすることに
賛成してくれて
応援してくれた両親、
困らせてばかりだけれど
これからの人生も見守っていてほしいです
そして何より
応援してくださった
さ子ちゃんズのみなさん、
オタクのみなさん、
先程も書きましたが
みなさんがいなければ
春野さ子は成り立ちませんでした

本来であればみなさん一人一人に
お礼をしたかったのですが
コロナの影響で
難しくなってしまいました

ライブに行きたくても
東京に行くことが出来ない
抽選に外れてしまった
などの話を
Twitter上で目にしたり
特典会でも伺いました

そんな中で卒業したことは
とても心苦しいです

でも
みなさんの気持ちは
離れていてもしっかりと
届いています


家族でも友達でも先生でもない
だけど
離れていても
応援してもらっている
という安心感を感じられる
そんな素敵なみなさんと
出会えたことが
とても幸せです

心の病気になったのは辛いことです
でも
心の病気にならなければ
そして
アイドルにならなければ
出会うことができなかった
たくさんの人たちと出会い
貴重な経験をさせていただきました
今では
病気になったのも
悪くないな
と思えます

先程
春野さ子離れをしたと書きましたが
春野さ子は
ずっとずっと私の心の中に
特別で大切な自分として
存在し続けると思います



長く、拙いブログに
お付き合い頂きありがとうございました

最後に
今までの思い出の写真たちを載せて
終わりたいと思います


私が受けた公開オーディションです

デビューをした日

さ子Tシャツは
パステルグリーン、パステルブルー、ホワイト
と3色も作っていただきました

愛くるしくて迷走中の振り付け講座をした
代々木公園でのオフ会

ライブの時はいつもいっしょだった
かえるさん

初めての生誕イベント
20歳になりました

かき氷イベントの時の
衣装は夏制服でした

トークイベントでは
インタビューに挑戦しました

渋谷のラジオさんには
3回も呼んでいただきました

私の隠れ家さんでのイベント

私の隠れ家さんでは
21歳の生誕イベントの際も
お世話になりました

遠征ライブで仙台に行きました

22歳の生誕イベントは配信でした

ライブの時に撮っていただいた写真たち

最後の特典会

のんびりふわふわマイペース

🐸春野さ子🐸

春野さ子のマイペース通信

春野さ子がのんびりマイペースに更新するブログです!

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